Magic hour

空に手を翳して

おわりとはじまり

※この記事は、2020/01/27 23:36 にnoteに投稿した記事をそのまま移したものです。

 

別れが苦手だ。

 

思えば小さい頃、わたしは別れを嫌がり泣く子供だった。祖父母の家に帰省する時だって、帰り際「またおいでね」と言ってくれる祖父母を見てめそめそ泣いていた。今もそれぞれ身体に色々な症状を抱えながらも幸せなことにみんな生きているから今生の別れでもなかったはずなのに、涙は溢れ出た。

 

親の仕事の都合で転園転校することが多かったから、途中から友達というものにわずかな寂しさを感じるようになった。せっかく仲良くなれても、いつかは別れなければならないし、そのいつかはすぐ来る。まあそれも気楽でいいじゃん。そう思うようになった。実際、面白い経験じゃんラッキーと思うこともあった。でも小さいわたしはプラスにばかりも考えていられず、引っ越しが決まるたび家でぼろぼろ泣いていた。なんで別れなきゃならないんだ。なんでわたしだけまた一から関係を築かなきゃならないんだ。いっそのこと終わりが来るなら始めなければいいんじゃないか、と思ったこともある。だけど結局先の別れなんか見えないふりして新しい"今"をそれなりに楽しむことを繰り返していた。そして卒業式の日、周りの友達と比べたらその幼稚園や学校に対する思い出なんか少ないはずだし、輪の中心にいてみんなと仲がいい、みたいなわけでもないのに冒頭からうるうるし始める。そんなタイプだった。我ながら訳がわからない。

 


終わるからこそ、次があるんだと僕は思ってます。

 

潤くんは最後の5×20コンサートの挨拶の中でそう言った。コンサートのはじまりから泣き、その後も泣き顔と笑顔を取っかえ引っかえしながら挨拶でまた涙を堪えられなくなっていたわたしは、その潤くんの言葉にハッとした。潤くんの言葉が胸にこだました。わたしはそんな風に思えたことがなかったから。終わるから、次があるのか。そうか。

新鮮だった。

一度終われば、もうその世界は戻ってこない。たしかにそうかもしれないけれど、どうやらそれだけじゃないみたいだ。

そういえば、今回のコンサートに一緒に入ったのは昔住んでいたところで仲良くしていた友達だ。わたしが引っ越して以来彼女とは疎遠になっていたが、ひょんなことから集まることになって、そこで嵐のファンだということをお互い知った。"いつか一緒にコンサート行こうね"というさらっとした約束を、数年の時を経て2019年の終わりに運良く果たすことができた。かけがえのない、濃密な、素敵な時間だった。

引っ越す時"終わり"だと思っていたそれは、ただの"終わり"じゃなかった。大好きな嵐が、"終わり"と"今"をつないでくれた。

ほんとだ潤くん、終わるからこそ次があるんだね。いいことを教わった。本当にありがとう。なんで今まで気付かなかったんだろう。

 

私が抱く、終わりが来るくらいなら始めなくてもいいんじゃないかという気持ちは、日々の自分に甘く接することに繋がる時もあった。何かやりたいなと思っても踏み出さないことが多々あった。たぶん、やめることが怖いんだと思う。終わることを恐れているんだと思う。そんな、そんな小心者のわたしの心に、潤くんの言葉はぎゅっとくっついて離れない。

もしかしたら今なら始められるかもしれない。終わりなんて怖くないかもしれない。終わるからこそ、次があるんだよ。自分に勝手に制限をかけないで、新しく踏み出す勇気をもて。そして羽ばたけ。どこまでも。慎重にはなっても、臆病にはなるなよ、2020年とその先を生きようとするわたし。

 

2020/01/27  わたぐも